グラフィックデザインの道を進むことになったきっかけは、新宿伊勢丹2階にある「シンデレラシティ」というフロアーのPR誌「シンデレラプレス」との出会いだった。
創刊号のモデルとして表紙を飾ったが、次の号からはその版下作業をするアシスタントデザイナーになっていた。
アシスタント時代は、約3年。
バブル時の派手な業界で、地味なデザイン作業をこなしていた。
現在も、毎日の作業は、とても地味。版下こそはもう作らないが、時代がデジタルになるほど、自分がアナログ人間であることを確認する。
(株)トリプレクス
(株)東京アドデザイナーズ
(株)秋元稔広告事務所
を経て、渡米。
アメリカではアートスクール在学中より、以下の企業団体に所属。
The New Yorker(デザインインターン)
REI Media Group, NY(アートディレクター)
harmon design, inc.(シニアグラフィック/ウェブデザイナー)
Durham County(シニアグラフィックデザイナー)
2006年に立ち上げた独自のブランドライン(hitoko ub new york)をプロデュースすることから始まり、自分のビジネスを「hitoko ub design」の傘の下で始める。
もともとウェブデザインを始めたのは、1995年だった。
シンプルテキストのみでコーディングするやり方を独自で習得。細かい間違い探しのようなコード制作作業は、自分にぴったりだと感じた。
当時のグラフィックデザイナーが、手作業からコンピュータへ切り替わるのに苦労したように、プリントとウェブデザインの同時進行にも、かなりの葛藤があった。
現在は本来のウェブデザインに加え、ホームページやブログカスタマイズ作業兼SEO対策、またサイト運営なども行っている。